<ひと脈々>生命科学の両雄、世界リード
2009/10/29配信
山中伸弥・京都大教授(共同)
山中伸弥・京都大教授(共同)
「先生、生えてます」。2005年夏、京都大再生医科学研究所。博士研究員の高橋和利(31=現助教)が教授の山中伸弥(47)の部屋に駆け込んだ。「うそやろ」。山中は半信半疑だったが、シャーレには元のネズミの皮膚細胞とは全く違う細胞の塊がおわんのように盛り上がっていた。「新型万能細胞(iPS細胞)」が誕生した瞬間だ。
皮膚などの体細胞から万能細胞を作ることは研究者の夢。山中と高橋は1年近くかけてiPS細胞の作製技術を完成させ、06年8月に発表した。4種類の遺伝子を組み込むという簡単な方法で万能細胞ができることに世界中が驚いた。しかし、2人は研究者としてエリートコースを歩んできたわけではない。
★手術苦手で転身
山中は神戸大医学部を卒業後、整形外科の研修医になった。だが手術がヘタで30分で終わる手術に3時間かかる。米国留学を機に研究者を志すが、帰国して再び壁にぶつかる。いっそ「研究をあきらめるための口実に」と応募した奈良先端科学技術大学院大で助教授に採用され、それが飛躍の糸口になった。
若手研究者をたたえる「湯川・朝永奨励賞」を受賞し、今や山中の右腕と呼ばれる高橋も最初は門外漢だった。同志社大工学部で化学を専攻。00年に奈良先端大の大学院へ進んだが「バイオは素人」と不安を抱えていた。
そんな高橋を山中は実験器具の使い方から手取り足取り教えた。高橋や他のメンバーを鍋や焼き肉に誘い、夢を語った。「新しい万能細胞ができたら多くの患者を救える」。高橋は「先生と出会って人生が変わった」と話す。
生命科学の俊英が集う「関西」という環境も見逃せない。京大再生研と理化学研究所発生・再生科学総合研究センターという再生医療の梁山泊(りょうざんぱく)。このうち理研には、山中が「大きなヒントをもらった」と感謝する研究者がいる。
理研チームリーダーの丹羽仁史(45)はその1人。山中は1月のシンポジウムで「奈良に移って私が最初にした仕事は丹羽さんをセミナーに呼んだことだ」と披露した。
丹羽は元祖・万能細胞の胚(はい)性幹細胞(ES細胞)の研究一筋の道を歩んでいる。そんな丹羽に約10年前、山中が連絡をした。「研究成果を詳しく教えてほしい」。山中と面識はなかったが、奈良先端大へ行き、実験材料を渡すとともに実験ノウハウも教えた。お礼は数千円の夕食。山中は今も講演の“ネタ”として「安く済んだ」(笑い)と話すことがある。
ES細胞がなぜ様々な組織の細胞に変わるのか。その秘密を探る研究は丹羽のライフワーク。山中がiPS細胞の作製に成功したとの報道を知り「落胆した」。ただ万能細胞は作れても、その仕組みは十分には解明されていない。今も「マニアックにネチネチ」と、その秘密に迫る。
★ノーベル賞狙える
幸運なことに白眉(はくび)を見いだす伯楽もいた。「真に臨床応用できる多能性幹細胞の樹立」
03年夏、元大阪大学長の岸本忠三(70)は山中が出した研究費の申請書に目をとめた。内容を読むと「無理やろ」と思うが、荒唐無稽(こうとうむけい)でもない。実際の面接でも「何かやらかすかもしれん」とセンスを感じた。多くを期待したわけではないが、余った資金の中から年間5000万円を5年間支給。これで山中の研究は進み、大化けした。
審良静男・大阪大教授
審良静男・大阪大教授
「ノーベル生理学医学賞を狙える日本人は2人しかおらん」。病原体から体を守る免疫研究の権威で、自身もノーベル賞候補と目される岸本は言い切る。1人が山中。そしてもう1人は阪大教授の審良(あきら)静男(56)だ。
ウイルスなどが体内に侵入したときに最初に攻撃する「自然免疫」。手当たり次第に病原体を攻撃すると考えられていたが、審良は自然免疫が外敵を区別し、病気から身を守るのに重要な役割を果たしていることを解明した。
「研究者として成功するには、世界有数の研究室でノウハウを学ぶべきだ」。こう考える審良の人脈は山中とは対照的だ。岸本の弟子で厳しく育てられた。ノーベル賞を受けた利根川進(70)のライバルといわれた京大教授の本庶佑(67)にも師事したことがある。先輩や後輩も世界に通用する免疫研究者が多く、審良は「様々な研究スタイルを学んだ」と話す。
岸本の下で世界が注目する成果をいくつか出した。しかし「偉大な先人たちの後追いでしかない」との悩みもあった。飛躍のきっかけは“偉大なボス”から解き放たれたことだ。1996年、兵庫医大教授になったのを機に自然免疫の研究に注力。今では世界が「審良イコール自然免疫」と認める存在になった。
★阪大を世界拠点に
阪大を免疫学の世界拠点にする――。審良は文部科学省の強い支援を受け、世界の第一線級の人材を集め始めた。その中心が京大教授の坂口志文(58)だ。審良は「この人なしでは世界拠点に応募しなかった」と絶大の信頼を寄せる。坂口は東京都の研究所から京大に招かれ、今は再生研所長の要職にある。審良らはさらに招へい教授としてヘッドハントに成功した。
もうひとつ心血を注ぐのが、体内で刻々と変化する免疫反応を見る技術の開発。利根川は70年代に進展した遺伝子工学を駆使し、免疫反応を担うリンパ球の性質を解明した。審良は新技術で複雑な免疫反応の全容解明を目指す。
そのパートナーに選んだのが阪大教授の柳田敏雄(63)。生きたままのたんぱく質を精密に観測する技術で世界に知られる。2人は岸本が海外の研究者と夕食をとる際に呼ばれて何度か会った。柳田は口数が少ない審良が「尊大に見えた」ものの、議論するうちに「シャイなだけ。こんなに研究が好きなやつはいない」ことが分かったという。「審良は阪大初のノーベル賞を狙える男。後押しのためにひと肌脱ぐ」。それが自分の研究をさらに発展させる起爆剤にもなると信じる。
日本人のノーベル生理学医学賞は87年の利根川だけ。関西には、志のある研究者が有能な人材と出会って壁を乗り越える環境があり、埋もれた人材を発掘する目利きもいる。そこで育つ俊英から「第2号」が生まれる日は遠くないはずだ。=敬称略
(編集委員 青木慎一、大阪経済部 長谷川章)